真心を込めて育てたみかんをお届けします

2014のテレビ取材にて
2014年のテレビ取材にて

自然を相手にする仕事ですので、悪天候、猛暑、イノシシ、アナグマ、野鳥食害、害虫、毎年色々なことが起こりますが、美味しいみかんができたときは喜びも一入です。

収穫時期など人手が必要な時には、地域のベテランの皆さんにお手伝いいただきながら頑張っています。

ひとつひとつキズが付かないよう丁寧に収穫、選別をした特級品を皆さまにお届けしています。

みかんを栽培するようになった経緯について

マークの中に記した1916年は厳密に言うと私の家で蜜柑栽培を始めた年ではありません。津貫の歴史を見ていただけると判りますが、津貫に蜜柑が始めて植えられた年です。その年は、私の家で始めて蜜柑栽培を手がけた祖父、立二(明治24年6月11日生まれ)がちょうど25才になった年です。その数年後に(結果がよかったので)祖父も植えたのだそうです。具体的に祖父が蜜柑栽培を手がけたのはおそらく1920年代だと推測されます。

 しかし、敢えてマークの中に1916年を掲げたのは、

1、この年は津貫に始めて蜜柑が植えられた記念すべき大切な年で、これまで先輩方が育ててきた「津貫みかん」の銘柄に感謝し、いつまでも忘れず、その名に恥じない蜜柑をこれからも栽培していきたいという意気込み。

2、祖父、立二が具体的に何年に栽培を始めたか、はっきりしないため。

の2点からです。

津貫は盆地のため朝晩の寒暖差が激しく、山は日当たりの良く粘土質で水はけの良い斜面が多くあります。

皆さまに安心で美味しいみかんをお届けするのを楽しみに日々畑で汗をかいています。

代表の自己紹介

1963年12月生まれです。

父母と妻と子供3人の2世代7人暮らしで、みんなで力を合わせてみかんを栽培していました。

1982年から農業をはじめました。10年一昔といいますが、この10年ですっかりみかん作りを取り巻く環境も変わりました。

就農するときには地域をあげて進めていた品種も、今では品種更新の対象になっており、その品種の更新の早さには驚かされると同時に困惑しています。

そして、10年先はもちろん、今年のみかんの動向さえも全くわからない昨今ですが、こつこつと毎日がんばっています。

だって、みかんが好きじゃっでやなぁ(すきですからね~)。

 

生産している作物、経営規模

早生みかん65a
普通みかん10a
雑柑20a
露地極早生50a
はるか20a
屋根かけきんかん19a(ハウス)
無加温極早生30a(ハウス)
施設でこぽん30a(ハウス)
合計250a

それぞれのおおよそ出荷時期はこちらをご覧ください。

文化財のこと

私は、以前加世田市の文化財保護審議委員と県文化財保護指導員をしていました。

依頼が舞い込んだときには文化財とは縁の薄い生活をしていましたが、農業という地に足のついた仕事をしている関係で、地元の事を勉強する意味からも興味があっておもしろそうだと引き受けて仕事をしていました。南さつま市が発足すると同時に現職を退きましたが、その当時このサイト内に文化財の情報をUPしました。

私のHPの中に地元の文化財や史跡の説明が含まれているのも、みかん作りをしている私の地域の「バックボーンとしての津貫」を少しでも知っていただきたいと同時に、今、させていただいている文化財に関する仕事の勉強という事も兼ねているからです。

私の趣味

自転車競技

私の所有する自転車は、学生の時に購入したもので、たしか10万を少し超えたと記憶しています。そのころいつも通っていたナルシマフレンド立川店で

つるしのフレーム(COLUMBUS)
シマノ600ディレーラー一式(フロント2枚*リア6枚=12段)
MAVICのリム
SUPERBEのブレーキ(SUNTOUR:今はないそうですね)

を組み合わせてもらいました。

以前に加世田市で行われました、デュアスロン大会に参加したときに参加した皆さんの自転車を見たときに、時代を思わず感じたのは、私だけだったのでしょうか?.....

 学生の時に4年間、毎日のように自転車に乗っていました。それは、ただ通学の為だけではなく体力づくりを兼ねて、レースに出ることを目的として練習をしていました。種目はピストと、ロードレース。そんなに速くはなかったし、練習量も足りなかったし、でも、自転車の好きなことは他の人には負けませんでした。

残念ながら最後のインカレの直前に体調を壊し、予定していたタンデムピストのスプリントとチームロードレースには出場できませんでしたが代わりに私の手元には、そのとき撮りまくった写真がごっそり残っています(自分の写っていない)。

今は、自転車に乗れる時間もほとんどなくなり、すっかり体力も落ちましたが、たまにサドルにまたがると、つい、目一杯走ってしまって、2日後にこたえるようになりました。

パソコンいじり

私が初めて眼にしたパソコンは高校生のときで,数学の先生の机の上で動いていた沖電気のif-800です。先生はそのパソコンを使って,囲碁をしていました。それから数えること16年間,直接つきあってきたコンピュータは,初めて買ったシャープのポケコンPC-1251に始まり,大学の研究室では,富士通のFM-7,FM-8,NEC PC-8801,PC-9801F,PC-9801VMと進化しました。まさにそのころのコンピュータの進歩はめざましく,処理能力も目に見えてアップしました。ワープロソフトで卒論を入力することができるようになったのもそのころで,「松」が管理工学社より販売され,一気にコンピュータ用のワープロソフトの代名詞になったのもこのころです(1983年頃)。しかしながら,変換効率が悪く,使い勝手が余り良くない一方,バージョンアップもされずにその上大変高価であったため,発売元の管理工学社が「官吏高額社」と陰口をたたかれ始めた頃,ジャストシステムより一太郎が初めて発売され,これも爆発的に売れました。(1985年頃)。そのソフトのネーミングの異様さに「本当に市販されているワープロソフト?」と耳を疑ったものでした。

大学卒業後,初めて買ったデスクトップはPC-9801VX2です(1986年11月)。CPUがそれまでのV30から一気に80286に変わって,処理能力がグンとアップしました。そのころ,CRTとドットインパクトプリンタ(エプソンVP-135K),もちろんVX本体込みで秋葉原価格で70万円也でした。考えるによくそんな金があったなと自分でも感心します。今頃、貯めとけばどんなパソコンがかえるやら。

ワープロソフト「松」はやっと重い腰を上げ,松86にバージョンアップするもつかの間,一太郎もバージョンをV2,V3とあげてきて,ワープロ戦争もこのあたりになるとだいたい勝負がついた感じがしました。なんと言っても一太郎の強みは,日本語入力部分(FEP)のATOKのみでも販売され,他のソフトの起動時に読み込むことで,一太郎を使うがごとく他のソフトでも日本語入力ができるようにしたところでした。日本語FEPのフリーソフトウェアのWX2がネット上で成長したのもこのころでした。

さて,コンピュータのソフトウェアが巨大化するにつれフロッピーディスクだけではアプリケーションの実行が難しくなってきました。忘れもしない一太郎がV3までは実行ディスク1枚有ればなんとか事足りたのに,V4になってからというものすっかり「でぶちん」になってしまって,実効速度は落ちるし,フロッピーディスクは箱ごともって歩かないとワープロ使用中にことあるごとに差し替えを求められるし,とうとう我慢できずにハードディスクを購入しました(1988年)。でも私はしばらく一太郎V3を愛用していました。

さて,PC98&MS-DOSぞっこん状態からマックにいきなり乗り換えたのは,なにをかくそう,「常に情報提供をしてくれていた兄貴がマックに乗り換えたから」といういたって簡単で浅はかな理由から。(それまでのぞっこん状態が嘘のよう。)

マックはちょうどそのころOSが漢字talk7.1でCPUが68030に変わったLCIIIを購入しました。(正確に言うと購入してもらった,の方が正しい)。誰でもつかえるマックを両親のぼけ防止にとの配慮で買ってくれたものの,すっかり私のおもちゃとなり,これでマックの罠にはまった私は,昨年PM7300/166を自分で購入するに至ったのです。

いまでは,あの98&DOSきちがいはどこへやら,コンピュータのことを聞く人には,「悪いことは言わない。マックを買いなさい,だまされたと思って......」と布教して歩く毎日を送っています。

最近の動きはまた次回に

このパソコン人生で学んだことを提言の意を込めて,

ここで一句
「コンピュータ 使うと思って張り切るも いつの間にやら使われる我,あなどるなかれ,敵もさるもの......」

おそまつでした。

農産物の販売の今後の方向性として私の考えていること

雑談です。

私が4年前にアメリカに農業の視察研修に行ったときに痛切に感じたことがあります。
カリフォルニアでリンゴを栽培している圃場の前に看板が立っていました。そこには,栽培する過程で使用した農薬の使用時期と倍数を表示してありました。そうしないと,農家は次の農薬を購入できないのだそうです。私はそれを見て,自分は果たして農薬の散布について公開できるのだろうかと心配になりました。

 確かに,みかんに登録のとれた農薬を正規の倍数で,定められた回数の範囲内で散布してはいるものの,今のこの「農薬=毒,汚染物質,環境に悪いもの」の風潮の中,農薬散布する農家は時代に逆行しているように見られていて,公開したときに受ける自分の手がけた農産物の受けるマイナスイメージをとても心配しているのです。

 しかし,他方で,贈答品としての一面を持つ果実は,外観のきれいさをとても要求される品物でもあり,その要求を満たすためには,農薬の使用を抜きにしては考えられないのが現状です。

 消費者の皆さんが生産者に要求している農産物の品質を判断する2大要素(=完全なる安全性と完全なる外観)は生産者からみるとお互いに大変矛盾した2点なのです。

 そこで,私は考えました。
 みかんに関して言えば,病気や虫の被害は大きく分けて2通り有ります。
一つは,一度被害を被ると致命的で,その後の樹や果実そのものの生長に重大な事態を招くおそれのある病虫害。
もう一つは,被害を被っても,外観に多少の傷や,病班を残すだけで食味には影響のでない病虫害です。

  1. 前者については,その農薬を省くことで被る被害の重大性を皆さんに知っていただきつつ,農薬の使用を容認していただく
  2. 後者については,その農薬を省くことで出る傷や病班を理解してもらい,その傷を容認していただく代わりに,その病気に対する農薬の使用を控える。

ことを考えています。

 現在,農産物も昔のような「食料が少なく作れば売れる時代」から大きく転換し「消費者の求めるものを生産しなければ売れない時代」になりました。ですから,私達も農薬を食品添加物の一つとしての位置づけをし使用した農薬については隠さず公表すると同時に,消費者の皆さんにも農薬の必要性を認識していただき,おたがいに信用をして合意の上で農薬の利用を制限し,生産されたものは購入していただく。のが最もいい方法ではないかと最近考えています。

 こんな将来の目的達成の一助として,わたしはHPを利用したいと思います。ですから,すこしづつでもHPの中にこんなことを発言していくつもりです。

準備中